給料っていうのはさ。


その人の働き振りによって決まるんだ。
営業だったら営業成績によって。



最低保障があるのかは
最初の契約段階で、
そして会社の考え方ひとつで決まる。


マクロの視点で言えば
会社全体でどれだけ利益が出ているか、
そして人件費にどれだけ割けるか。
それで決まる。



ただミクロの視点になれば
ここのはたらっきぷりにすべてはかかってくる。



ということはだ。
この苦しい、何かにおわれる感覚、
追われ続ける感覚は
ずーっと続くわけだ。
常に会社の利益追求が続くわけだから。



苦しみが続くわけだ。



数字に追われる感覚。
たるみはこれを苦しいと感じるわけだ。
感じているわけだ。


ただ社会で労働をして
成果によって報酬を得ていく以上
どこにいってもこれはつきまとっていくわけだ。


報酬を得続けないければ
現実的に生きていけないわけだから。


引きこもっている人が
生きていけるのは
だれかがその人の分のコストを負担しているからだ。


真に自立するためには
最低限自分の食い扶持を確保する必要があるわけだ。



ただ人間は弱い。
その自覚が多少なりともあっても
楽なほうへ、怠惰な道に流れる。
そしてかなうことのない、妄想とも取れるような
甘い甘い夢を見る。
そんなものはないのに。



今たるみはその甘い甘い夢を
実現させようとこの苦しい現実を
認め、
耐え忍ぼうとしている。



具体的にはリタイヤして引きこもる。
経済的基盤を確保した上でね。
ただ引きこもるだけじゃ
のたれじにをまつだけだから。
今精神的に苦しいのとはまた
別の苦しみが生まれちゃうから。




ただ将来引きこもるための手段に
矛盾を感じないこともない。

まずは給料を確保し貯蓄する。


仕事で結果出す。
そのためには知らない人に会いに行く、
人脈を築く。
社内で、社外で、そして社会に
溶け込んで人とコミュニケーションを
とっていく。



引きこもりたいという欲求とはまったく逆の
行為をしながら引きこもるという欲求を果たそうとする。
これはかなり苦しい。
そしてたるみの目標は反社会的なのか?
という疑問も生まれてくる。
自分は変わっているのか?


甘いこといっていたって
金は稼げない。
わかっている。
でもやっぱり心のどこかで納得していない。



救いがないよ。
今自分がここに存在している意味はなんだろう?
生きる理由なんてない。
でも生きてしまっている。
それはなぜ?