感動するということ


夏の風物詩ともいえる
高校野球、そして甲子園。


なぜあれほどまでに
感動を無理やりに生まれさせようとするのか。
というより無理やりのお涙頂戴にするのか。


見ていて気持ち悪い。
特にテレ朝の特集番組が気持ち悪い。


そりゃ暑い中大変だろう。
日々の練習も大変だったろう。
その点に関してはどうこう言うつもりもない。


だけどマスコミがこぞって
感動の舞台にしようとするのはなんでなんだろう。



あの金の問題はいったいどこに行ったのか。



選手、選手の親、兄弟、監督、学校、プロが
すべてぐるになって金が動く。
やりすぎはどうかと思うけど
それなりには仕方がないのかと思う。
野球=生業と考えれば。



ただ結局何も明らかにされず、
なぁなぁで過ぎ去ってしまった。
高野連の皆様の
時代錯誤な高尚な理念のおかげで混乱を招いただけ。
プロサイドも特定の選手と
特定の球団をつるし上げて終わり。
やるんだったら最後までやれよ。
いいとも悪いとも今後どうするとも
何もはっきりせずに終わっちゃった。




虚構にまみれた感動が見たいんじゃない。


甲子園の中継にしても
なんら変わらず。
出場校の特待生の人数、県外の部員の人数、
それらのレギュラーの比率。
学校の設備の程度
そして今回の騒動における対応。
その辺を出してくれないと面白くないよ。


初出場の学校とかだって
県外から奨学生たくさんとって
設備に金かけているところばっかりでは?



それをやり遂げるのは大変だと思う。
だから素直にしっかり投資して
練習して甲子園出場という結果を出しました!
でいいじゃないか。


それをまるで隠すかのように
チームワークだの
選手の親が死んだだの、監督にささげる甲子園だの
無理やり美談にしようしようとしすぎるから
気持ち悪いんだよ。
感動を作ろうという作為を感じて興ざめします。


感動するのにそんなものは必要ないのにね。