他人のこと

本当に他人のことを理解することができるだろうか。
できないというのが本当だろう。
だって理解する人と理解される人は違う人なのだから。


相手をきづかったつもりでも
相手にとっては余計なおせっかいということもあるんだ。
相手が感じている痛みを分かち合おうとしても
体が違うのだから本当のところはわからない。
励ましの意図を持ってかけた言葉も
相手には負担になることだってある。



でもさ、わかろうとすることはできると思うんだ。
気遣ってくれているということがわかるだけで
人間癒されると思うんだ。
そしてその人が感じている痛みを
話を聞いたり、その人が置かれている状況を想像したり
共感したり、その痛みについて自分で知識を増やしてみたり。



病気や怪我、病院のことを考えてみたら
こんな考えが浮かんできた。




「加害者や被害者の置かれた苦しい状況を考えると
いたたまれない時がある。
そう思ったとき、苦しい心情を少しでも支えたい、
なぜそんな状況になったのか少しでも理解したいと思う。
犯罪とは何か?
どうして起こってしまうのか。
そしてどのように裁かれていくのか。
我々は常に学び続けていかなくてはならないと思う。」


うまく言えないんだけど
ウチの大学の刑法の教授がこんなような話をしてくださったことがあった。


いくら共感したいからといっても
自分も加害者になったり
被害者になったりするわけにはいかない。


実際に事件の当事者にならなくては
到底当事者や関係者の心情は理解できないけれど
少しでも理解しようとする思いを持っていたい。
少しでも理解しようと思うとき
僕らにできるのは学び続けることだけなんだと思う。