信念

夜回り先生のお話の中で
「教育の原点は待つこと」
というのがあった。
今の世の中は攻撃的で待つ時間がないと。



最もだと思うと同時に
たるみの周りにも2人の先生がこの「待つ」を実践していたなと
思った。



一人は小学5、6年の時の担任の先生。
宿題の漢字カードや国語の授業での討論会
(つぶしあいって言ってたっけ)
社会の壁新聞や百人一首、将棋、けんだまなど
授業や授業以外にもいろんなことを考えてくれていた。




そのせいか授業の進みは遅かったな。
算数は特に。
でもわかるまで待ってみんなが納得してから
進んでる印象を持ってた。
算数以外でも考える時間を多く取ってたな。
先生は考える時間を「待つ」を実践していたのだと思う。



もう一人はうちのじいちゃん。
高校の数学の先生だった。
たるみが熊本のじいちゃんの家に遊びに行った時や
じいちゃんがたるみの家に遊びに来た時
たるみ母が勉強みてやってとじいちゃんに頼んだらしい。



でもじいちゃんは自分から絶対に教えることはしなかった。
たるみもじいちゃんから勉強しようと
声をかけられた記憶はないです。




母から聞いたことだけど
じいちゃんは
「本人のやる気がないのに教えたって意味がない。
教えてと自分から言ってきたら教える。」
というスタンスだったそうです。




確かに朝早く起きれたときにじいちゃんと
散歩にいくといろんな話をしてくれた。
じいちゃんと日本史の話をするのはすごく楽しかった。
算数や数学の問題を持っていけば
その場で教えてくれたし、熊本にいる時にも
手紙で問題を送れば答えを送ってくれた。
じいちゃんはやる気がおきるまで「待つ」を実践していた
のだと思う。




担任だった先生もうちのじいちゃんもそれを
絶対ひけらかしたりはしなかった。
でも今思うと信念を持って接してくれた先生が
たるみの周りにもいたんです。
なんだかとてもうれしくなった。




それと同時に大学の先生というのは
研究者であって教育者ではないという思いも強くなった。
中には刑法のT教授、演習でお世話になったT先生、
国際法のY教授など信念を持ってらっしゃると
たるみが感じることができた先生もいた。


でも多くの先生はそうじゃなかった。
リーガルマインドの育成が叫ばれているけど
こんなのは口だけ。
彼らは人生を語れないし本ばかり見てきた彼らの言葉に
説得力を見出すことはたるみにはできない。